INAXギャラリー「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」「下平千夏 -implosion point-展」
ギャラリーハシモト「村田峰紀:drawings」を観る。
2010年12月29日水曜日
2010年12月24日金曜日
22 Dec.2010
ケンジタキギャラリー「大塚泰子 color plan」
オペラシティアートギャラリー「ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ」「収蔵品展 紙の上の競宴」を観る。
若林奮の作品が強烈な印象を残した。
オペラシティアートギャラリー「ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ」「収蔵品展 紙の上の競宴」を観る。
若林奮の作品が強烈な印象を残した。
2010年12月20日月曜日
2010年12月17日金曜日
2010年12月9日木曜日
8 Dec.2010
うらわ美術館「これは本ではない―ブック・アートの広がり」
SCAI THE BATHHOUSE「宮島達男 Warp Time with Warp Self」
資生堂ギャラリー「駒井哲郎作品展 生誕90周年-闇と光のあわいに」を観る。
SCAI THE BATHHOUSE「宮島達男 Warp Time with Warp Self」
資生堂ギャラリー「駒井哲郎作品展 生誕90周年-闇と光のあわいに」を観る。
2010年12月7日火曜日
2010年12月6日月曜日
2010年12月4日土曜日
3 Dec.2010
目黒区美術館「鉄を叩く 多和圭三展」
オリエアートギャラリー「吉村靖考 CCハウス展」を観る。
多和さんの迫力ある作品と、吉村氏の建築家らしい理性的な展示。
どちらもその領域の特徴が出ていて見応えがあった。
オリエアートギャラリー「吉村靖考 CCハウス展」を観る。
多和さんの迫力ある作品と、吉村氏の建築家らしい理性的な展示。
どちらもその領域の特徴が出ていて見応えがあった。
2010年12月2日木曜日
2010年12月1日水曜日
22 Nov.2010
グラスゴーにて
スコットランド・ストリート・スクール、マッキントッシュ・ハウス、クイーンズ・クロス・チャーチ、グラスゴー美術学校、ウィロー・ティールームなどを観てまわる。
岡本太郎「日本の伝統」を読み終える。
スコットランド・ストリート・スクール、マッキントッシュ・ハウス、クイーンズ・クロス・チャーチ、グラスゴー美術学校、ウィロー・ティールームなどを観てまわる。
岡本太郎「日本の伝統」を読み終える。
2010年11月27日土曜日
2010年11月19日金曜日
14 Nov.2010
練馬区立美術館「芸術家の家 大沢昌助と父 三之助展」を観る。
新しい発見にあふれた有意義な展覧会。前回の稲垣仲静・稔次郎兄弟展、世田谷での橋本平八・北園克衛兄弟展など、作品の背景に潜む家庭の様子が垣間見える展覧会が続く。
新しい発見にあふれた有意義な展覧会。前回の稲垣仲静・稔次郎兄弟展、世田谷での橋本平八・北園克衛兄弟展など、作品の背景に潜む家庭の様子が垣間見える展覧会が続く。
2010年11月12日金曜日
7 Nov.2010
2010年11月4日木曜日
3 Nov.2010
秋山画廊「糸数都 色層」を観る。
糸数さんの作品には深い空間が存在するため、彫刻を見ているような錯覚に陥る。
「私の絵画は描くというより出現させるという行為だと考えます」という作家の言葉を読んで納得した。
糸数さんの作品には深い空間が存在するため、彫刻を見ているような錯覚に陥る。
「私の絵画は描くというより出現させるという行為だと考えます」という作家の言葉を読んで納得した。
2 Nov.2010
コラージュ作品「News week series / 1 Nov.2010」制作
東京芸大美術館「明治の彫塑 ラグーザと荻原碌山」
正木記念館「平櫛田中コレクション2010」を観る。
彫刻だらけの一日。和装のブロンズ像や内藤陽三の浮彫は、文化の融合を目指した当時の風潮がそのまま感じられる。帝冠様式の建物や旧開智小学校を思い出す。荻原碌山の「デスペア」「女」は秀逸。特にロッソの彫刻に似た「デスペア」は気になる。
木彫中心の平櫛田中コレクションでは橋本平八も二点ほど展示。田中と対比するような並べ方が面白い。師である佐藤朝山の作品もあった。帰り際、出口脇にあるロダン、マイヨール、ブールデルの小品に足を止める。
2010年11月1日月曜日
2010年10月26日火曜日
2010年10月25日月曜日
24 Oct.2010
群馬県立近代美術館「建築家 白井晟一 精神と空間」を観る。
図面が多かったが退屈することなく観ることができた。虚白庵の解体、そして今回の展示を契機に白井晟一について再び考えていかなければならない。昨日の橋本平八・北園克衛にもどこか通じるものがある。
図面が多かったが退屈することなく観ることができた。虚白庵の解体、そして今回の展示を契機に白井晟一について再び考えていかなければならない。昨日の橋本平八・北園克衛にもどこか通じるものがある。
23 Oct.2010
世田谷美術館「橋本平八と北園克衛展 異色の芸術家兄弟」を観る。
三重県立美術館に続いての展覧会だが、その展示方法が異なっているため新しい発見が多い。橋本平八の作品は観賞しやすい照明のあて方で360°ぐるりと見入ることができ、ガラスに貼られた北園の言葉はその意味とともに浮遊感に満ちていた。
三重県立美術館に続いての展覧会だが、その展示方法が異なっているため新しい発見が多い。橋本平八の作品は観賞しやすい照明のあて方で360°ぐるりと見入ることができ、ガラスに貼られた北園の言葉はその意味とともに浮遊感に満ちていた。
2010年10月20日水曜日
2010年10月17日日曜日
11 Oct.2010
芦屋にて「旧山邑邸」(フランク・ロイド・ライト設計)
六甲にて「六甲山荘」(ヴォーリズ設計)、六甲ミーツアート、「六甲枝垂れ」(三分一博志設計)を観る。
六甲山荘の状態の良さには驚いた。機能は変われど現在でも多くの人々に利用され、生きた空間を保っている。
六甲にて「六甲山荘」(ヴォーリズ設計)、六甲ミーツアート、「六甲枝垂れ」(三分一博志設計)を観る。
六甲山荘の状態の良さには驚いた。機能は変われど現在でも多くの人々に利用され、生きた空間を保っている。
2010年10月8日金曜日
2010年10月7日木曜日
2 Oct.2010
高松にて「香川県庁舎」(丹下建三設計)
京都にて「龍安寺」、「矩庵」(藤森照信設計)を観る。
念願かなって「龍安寺」を訪問した。石庭は方丈の柱間を通した上で見てみたいがそれは叶わなかった。また、方丈の裏側に回れることに驚いた。B・タウトの言う「床の間の裏側」も人が行き交っている。
藤森さんの茶室は「高過庵」に続いて二つ目。「矩庵」ではその施工精度の高さに目を見張る。施主であり施工者でもある住職の手仕事の素晴らしさと根気がこの作品の価値を高めている。「縄文建築」とはただ荒ければ良いというものではない。
京都にて「龍安寺」、「矩庵」(藤森照信設計)を観る。
念願かなって「龍安寺」を訪問した。石庭は方丈の柱間を通した上で見てみたいがそれは叶わなかった。また、方丈の裏側に回れることに驚いた。B・タウトの言う「床の間の裏側」も人が行き交っている。
藤森さんの茶室は「高過庵」に続いて二つ目。「矩庵」ではその施工精度の高さに目を見張る。施主であり施工者でもある住職の手仕事の素晴らしさと根気がこの作品の価値を高めている。「縄文建築」とはただ荒ければ良いというものではない。
1 Oct.2010
今治にて「亀老山展望台」(隈研吾設計)、「ところミュージアム」(山本英明+DEN住宅研究所設計)、「大山祇神社」、「玉川近代美術館」を観る。
村山槐多の「樹」には感銘を受けた。葉は枯れ落ち、長い影が伸び、哀愁すら漂う全体の中で、樹幹の生命力だけが猛々しく表現されている。自身の死と向き合う姿が投影されていたのだろう。
村山槐多の「樹」には感銘を受けた。葉は枯れ落ち、長い影が伸び、哀愁すら漂う全体の中で、樹幹の生命力だけが猛々しく表現されている。自身の死と向き合う姿が投影されていたのだろう。
30 Sep.2010
丸亀にて「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」(谷口吉生設計)、「SickeTel-キュピキュピと石橋義正-展」
琴平にて「金刀比羅宮」(鈴木了二増築)、「森寛斎特別展」
今治にて「愛媛信用金庫今治支店」「今治市公会堂」「今治市庁舎本館」(全て丹下建三設計)、「日本料理 伊藤」(藤田直矢設計)を観る。
鈴木了二氏による増築によって、既存の金比羅宮と周囲の自然とが際立って見える。現代建築の役割はこういうものだろう。
表書院の円山応挙と邨田丹陵の襖絵は一見の価値あり。小雨の降る静寂な雰囲気の中で応挙の「虎」が咆哮し、邨田丹陵の「富士」が更なる静寂を与える。時代や作風は違えど、この二者の襖絵が共存している様は貴重なことだろう。
琴平にて「金刀比羅宮」(鈴木了二増築)、「森寛斎特別展」
今治にて「愛媛信用金庫今治支店」「今治市公会堂」「今治市庁舎本館」(全て丹下建三設計)、「日本料理 伊藤」(藤田直矢設計)を観る。
鈴木了二氏による増築によって、既存の金比羅宮と周囲の自然とが際立って見える。現代建築の役割はこういうものだろう。
表書院の円山応挙と邨田丹陵の襖絵は一見の価値あり。小雨の降る静寂な雰囲気の中で応挙の「虎」が咆哮し、邨田丹陵の「富士」が更なる静寂を与える。時代や作風は違えど、この二者の襖絵が共存している様は貴重なことだろう。
29 Sep.2010
神戸にて相楽園、フィッシュ・ダンス(フランク・O・ゲーリー設計)、翠ヶ丘の家(Camp Design inc 設計)を観る。
向井一太郎/向井周太郎「ふすま-文化のランドスケープ」を読み終える。
向井一太郎/向井周太郎「ふすま-文化のランドスケープ」を読み終える。
2010年9月28日火曜日
2010年9月26日日曜日
24 Sep.2010
GYRE「"ゼロ年世代"の都市・建築・アート CITY2.0展」を観る。
「孵化過程」のパフォーマンスでは緩い時間が流れてしまっていたが、磯崎さんの手による「ハプニング」のおかげで場が引き締まった。こうなったらやけくそだ、とはこの事だろうか。
hiromiyoshiiのキャプションに続き、解説文が書かれたペーパーの文字が小さすぎて読めない。もう少し伝えようとする姿勢を心がけてほしい。
「孵化過程」のパフォーマンスでは緩い時間が流れてしまっていたが、磯崎さんの手による「ハプニング」のおかげで場が引き締まった。こうなったらやけくそだ、とはこの事だろうか。
hiromiyoshiiのキャプションに続き、解説文が書かれたペーパーの文字が小さすぎて読めない。もう少し伝えようとする姿勢を心がけてほしい。
22 Sep.2010
INAXギャラリー「夢みる家具 森谷延雄の世界展」
TARO NASU「宮本隆司 1975-2010 Film&Digital」を観る。
ブルーノ・タウト「忘れられた日本」を読み終える。
TARO NASU「宮本隆司 1975-2010 Film&Digital」を観る。
ブルーノ・タウト「忘れられた日本」を読み終える。
2010年9月21日火曜日
20 Sep.2010
2010年9月20日月曜日
2010年9月18日土曜日
2010年9月16日木曜日
15 Sep.2010
コラージュ作品「News week series / 6 Sep.2010」制作
南洋堂「Japanese Junction 2010」
3331アキバタマビ21「更新に憑くー可塑的な無人島ー」
人形町ヴィジョンズ「ABST展」
資生堂ギャラリー「石上純也展 建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」を観る。
アキバタマビ、ABST展ともに対照的で良い展示だった。ABSTのような活動と作品は若い人達、特に建築系の人は注視しておくべき。
石上展は、各々の模型作品に対してスケールを合わせて観る、全てを原寸として等価にとらえて観る、というように2度楽しめる。展示台の細い脚を実現するために太いビスを8本も打ち込み、薄い天板を実現するために同等の厚みのある金物を裏に通している様子に、彼らの建築の特性を感じた。
2010年9月15日水曜日
2010年9月13日月曜日
12 Sep.2010
モナリザ「BROTHERS」を観る。
三重県美、世田谷美では真似の出来ない素晴らしい展示。
女将さんの情熱や、北園から受け継いだ個性が発揮され、簡素な空間ながらも巧みにまとめられている。多くの人に観てもらいたい気持ちと、このまま静かに盛り上がっていてほしい気持ちとが交錯する。
三重県美、世田谷美では真似の出来ない素晴らしい展示。
女将さんの情熱や、北園から受け継いだ個性が発揮され、簡素な空間ながらも巧みにまとめられている。多くの人に観てもらいたい気持ちと、このまま静かに盛り上がっていてほしい気持ちとが交錯する。
10 Sep.2010
サントリーミュージアム天保山「印象派とモダンアート」
IMAXシアター「ハッブル宇宙望遠鏡」を観る。
モネなどの印象派絵画の前には人だかりができるが、ジャコメッティ、クレーなどの前が空いているので比較的観やすい。フォンタナの5作品が並べられた一画は迫力があり、キャンバスの奥に広がる空間の雰囲気が前面に押し出てくるように感じられた。
IMAXシアター「ハッブル宇宙望遠鏡」を観る。
モネなどの印象派絵画の前には人だかりができるが、ジャコメッティ、クレーなどの前が空いているので比較的観やすい。フォンタナの5作品が並べられた一画は迫力があり、キャンバスの奥に広がる空間の雰囲気が前面に押し出てくるように感じられた。
2010年9月7日火曜日
2010年9月2日木曜日
2010年9月1日水曜日
27 Aug.2010
hiromiyoshii「Architects from HYPER VILLAGE 超都市からの建築家たち」
シュウゴアーツ「ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短い物語」
小山登美夫ギャラリー「福居伸宏 アステリズム」
東京国際展示場「グッドデザインアワード2010」を観る。
友人のドアハンドルの造形はなかなか良かった。少し値は張るが機会があれば使いたい。
シュウゴアーツ「ジュン・ヤン 忘却と記憶についての短い物語」
小山登美夫ギャラリー「福居伸宏 アステリズム」
東京国際展示場「グッドデザインアワード2010」を観る。
友人のドアハンドルの造形はなかなか良かった。少し値は張るが機会があれば使いたい。
2010年8月27日金曜日
2010年8月25日水曜日
19 Aug.2010
ヒルサイドフォーラム他「遠藤利克:Trieb⇔Void」を観る。
空間のつくりや隣接するカフェから聞こえる曲などとの関係はともかく、作品ひとつひとつの強さと剛直さには深く感服する。
空間のつくりや隣接するカフェから聞こえる曲などとの関係はともかく、作品ひとつひとつの強さと剛直さには深く感服する。
2010年8月17日火曜日
2010年8月12日木曜日
2010年8月9日月曜日
8 Aug.2010
三重県立美術館「橋本平八と北園克衛展」を観る。
シンポジウムでの酒井氏の言葉の通り、平八の作品を理解するにはまだ歳月を重ねなければならない。しかし、天女、達磨、猫、石からは言葉に出来ない魅力を感じられた。また、当時の美術の流れを敏感に受け取り、自分のものにしている北園の作品は全てがツボで見応えがあった。
同時開催の戸谷成雄「洞穴体」は迫力があった。ShugoArtsで発表したものらしいが、展示室のスケールに合った見事な空間と作品だった。若人には平八よりもこちらのほうが素直に受け入れられるだろう。
シンポジウムでの酒井氏の言葉の通り、平八の作品を理解するにはまだ歳月を重ねなければならない。しかし、天女、達磨、猫、石からは言葉に出来ない魅力を感じられた。また、当時の美術の流れを敏感に受け取り、自分のものにしている北園の作品は全てがツボで見応えがあった。
同時開催の戸谷成雄「洞穴体」は迫力があった。ShugoArtsで発表したものらしいが、展示室のスケールに合った見事な空間と作品だった。若人には平八よりもこちらのほうが素直に受け入れられるだろう。
7 Aug.2010
橋本平八・北園克衛の生家、墓を見る。
綺麗に維持され、風の通りが良く、伊勢地方特有の細かい間取りの日本家屋。遊び心のある表現が細部にまで施され、多くの発見に満ち満ちていた。親族の方々からは当時の貴重な話を聞くことができた。
綺麗に維持され、風の通りが良く、伊勢地方特有の細かい間取りの日本家屋。遊び心のある表現が細部にまで施され、多くの発見に満ち満ちていた。親族の方々からは当時の貴重な話を聞くことができた。
2010年8月4日水曜日
2010年7月30日金曜日
29 Jul.2010
東京造形大学附属横山記念マンズー美術館「SIRAI,いま 白井晟一の造形」を観る。
書や原爆堂のドローイングを生で観られる機会はなかなかないだろう。圧倒的な力を感じた。
スーザン・ソンタグ「反解釈」を読み終える。
書や原爆堂のドローイングを生で観られる機会はなかなかないだろう。圧倒的な力を感じた。
スーザン・ソンタグ「反解釈」を読み終える。
2010年7月28日水曜日
2010年7月24日土曜日
2010年7月22日木曜日
19 Jul.2010
秋山画廊「戸谷森 make the wall」を観る。
前回の流れを引き継いでいる左壁面の2作品と小さめ作品に惹かれた。
オープニング後の二次会での遠藤氏の言葉が深く突き刺さる。
「ボードレール全集Ⅳ」を読み終える。
前回の流れを引き継いでいる左壁面の2作品と小さめ作品に惹かれた。
オープニング後の二次会での遠藤氏の言葉が深く突き刺さる。
「ボードレール全集Ⅳ」を読み終える。
2010年7月15日木曜日
2010年7月11日日曜日
10 Jul.2010
SCAI THE BATHHOUSE「ウィリアム・エグルストン:21st Century」「長島有里枝 SWISS+」
東京藝術大学美術館「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い―交錯する夢と前衛―」を観る。
列が出来るほどでもなかったがかなりの混雑。代表作が一同に介しており見応えのある展示だった。「ロシアとロバとその他のものに」の存在感は圧倒的。グリーンバックの展示形式もポンピドーの意向だろうか。あまり馴染みのない作品「墓地」についてもう少し深く調べてみたい。
「ドイツ・ロマン派全集 第2巻 ノヴァーリス」を読み終える。
東京藝術大学美術館「ポンピドー・センター所蔵作品展 シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い―交錯する夢と前衛―」を観る。
列が出来るほどでもなかったがかなりの混雑。代表作が一同に介しており見応えのある展示だった。「ロシアとロバとその他のものに」の存在感は圧倒的。グリーンバックの展示形式もポンピドーの意向だろうか。あまり馴染みのない作品「墓地」についてもう少し深く調べてみたい。
「ドイツ・ロマン派全集 第2巻 ノヴァーリス」を読み終える。
2010年7月9日金曜日
2010年7月7日水曜日
4 Jul.2010
国立近代美術館「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」を観る。(二回目)
ウィトルーウィウス「建築書」を読み終える。
皇居東御苑内を散策し、桃華楽堂などを見てまわる。
都内で最も美しい建築は外観だけでも満足できる。眺めているとまるで一枚の大作絵画を見ている時のように作品の中に引き込まれる。
ウィトルーウィウス「建築書」を読み終える。
皇居東御苑内を散策し、桃華楽堂などを見てまわる。
都内で最も美しい建築は外観だけでも満足できる。眺めているとまるで一枚の大作絵画を見ている時のように作品の中に引き込まれる。
2010年7月5日月曜日
3 Jul.2010
BLDギャラリー「吉増剛造写真展 盲いた黄金の庭」
スペース ラビ アデッソ「くびくくり栲象パフォーマンス」を観る。
非常に贅沢なハシゴをした。どちらも一線を越えた作品で刺激になる。
スペース ラビ アデッソ「くびくくり栲象パフォーマンス」を観る。
非常に贅沢なハシゴをした。どちらも一線を越えた作品で刺激になる。
2010年7月1日木曜日
30 Jun.2010
多摩美術大学美術館「若林奮 Dog Field DRAWING 1980-1992」を観る。
期待通りの展示。Dog Fieldの力強さ、ドローイングやスケッチから滲み出る創作意欲など見どころが多く、長居できる空間だった。
「花・蒸気・隔たり」をもう一度読んでおきたい。
期待通りの展示。Dog Fieldの力強さ、ドローイングやスケッチから滲み出る創作意欲など見どころが多く、長居できる空間だった。
「花・蒸気・隔たり」をもう一度読んでおきたい。
2010年6月27日日曜日
2010年6月24日木曜日
2010年6月22日火曜日
2010年6月19日土曜日
18 Jun.2010
AISHO MIURA ARTS「秋山祐徳太子 高貴骨走」
佐藤真「SELF AND OTHERS」を観る。
秋山祐徳太子といえばパフォーマンスのイメージが強かったが、ブリキの仏像などの作品群も見事。
小さいギャラリーながらも贅沢な空間に仕上がっていた。
佐藤真「SELF AND OTHERS」を観る。
秋山祐徳太子といえばパフォーマンスのイメージが強かったが、ブリキの仏像などの作品群も見事。
小さいギャラリーながらも贅沢な空間に仕上がっていた。
2010年6月17日木曜日
2010年6月15日火曜日
2010年6月12日土曜日
2010年6月9日水曜日
2010年6月7日月曜日
2010年6月2日水曜日
2010年5月29日土曜日
28 May.2010
BankART Studio NYK「Spring Open 2010 BankART AIR Program」を観る。
いくつかのパフォーマンスを観たが、要素が多すぎて表現の軸がブレていたものが多々あった。
村田峰紀、くびくくり栲象らのパフォーマンスは出来れば個別に観てみたかった。最初に登場したくびくくり栲象の舞踏のようなソロは、頭から足の先端までの細やかな動作を通じて素晴らしい緊張感が伝わってきた。
木村幸恵の作品は何度も観ているが作家と会うのは初めて。ややぎこちない仕草でゆらめき動く作品と戯れる姿からは、独特の官能美が感じられた。
利部のパフォーマンスは途中までは観ていられたが、飛び入りの闖入者によって台無しになってしまったように思える。大音量の中で無声映画のように自身の作品を動かし、こちらの耳に届かない音を奏でる様子は良かったのだが。
爆音の中、くびくくり栲象がホールの片隅に置かれていた、1つのテーブルと2冊の本からなる作品を触り始めた。きちんと揃えて置かれていた2つのオブジェは彼の手によってまたたく間に角度を変えられ、向きを反転し、新たにもちこまれた椅子の上に鎮座させられ、バチや小石でおさえつけられ、終いにはテーブルまでも動かされて、作品としてあるべき姿に落ち着いた。
そこに至るまでの時間はとても豊かに流れ、変容する他人の作品と彼の立ち振舞いとが小さな空間の中に溶け込み、観る者の意識さえも一体化させる。真の「美術」が生みだされては消える瞬間を集積した極上のパフォーマンスが、わずか2~3人ほどの鑑賞者のために催され、しばしの間魅了されてしまった。
三中信宏「系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに」を読み終える。
いくつかのパフォーマンスを観たが、要素が多すぎて表現の軸がブレていたものが多々あった。
村田峰紀、くびくくり栲象らのパフォーマンスは出来れば個別に観てみたかった。最初に登場したくびくくり栲象の舞踏のようなソロは、頭から足の先端までの細やかな動作を通じて素晴らしい緊張感が伝わってきた。
木村幸恵の作品は何度も観ているが作家と会うのは初めて。ややぎこちない仕草でゆらめき動く作品と戯れる姿からは、独特の官能美が感じられた。
利部のパフォーマンスは途中までは観ていられたが、飛び入りの闖入者によって台無しになってしまったように思える。大音量の中で無声映画のように自身の作品を動かし、こちらの耳に届かない音を奏でる様子は良かったのだが。
爆音の中、くびくくり栲象がホールの片隅に置かれていた、1つのテーブルと2冊の本からなる作品を触り始めた。きちんと揃えて置かれていた2つのオブジェは彼の手によってまたたく間に角度を変えられ、向きを反転し、新たにもちこまれた椅子の上に鎮座させられ、バチや小石でおさえつけられ、終いにはテーブルまでも動かされて、作品としてあるべき姿に落ち着いた。
そこに至るまでの時間はとても豊かに流れ、変容する他人の作品と彼の立ち振舞いとが小さな空間の中に溶け込み、観る者の意識さえも一体化させる。真の「美術」が生みだされては消える瞬間を集積した極上のパフォーマンスが、わずか2~3人ほどの鑑賞者のために催され、しばしの間魅了されてしまった。
三中信宏「系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに」を読み終える。
2010年5月27日木曜日
2010年5月22日土曜日
2010年5月19日水曜日
2010年5月18日火曜日
15 May.2010
SCAI THE BATHHOUSE「アニッシュ・カプーア展」
秋山画廊「遠藤利克 空洞説・2010 AKIYAMA」を観る。
画廊の扉を開けたときに襲ってくる圧倒的な迫力。
タールの臭気が充満する空間の中に、荒々しい表面をした巨大な南瓜のような円筒状の作品が画廊の大きさに合わせて設置されている。
覗くことのできない内部と、たどり着くことのできない奥の空間は闇で閉ざされ、強引すぎるほどの力強さで二重の空虚が産み出される。
前回自分の作ったものは建築だった、とあらためて思い知らされた。
秋山画廊「遠藤利克 空洞説・2010 AKIYAMA」を観る。
画廊の扉を開けたときに襲ってくる圧倒的な迫力。
タールの臭気が充満する空間の中に、荒々しい表面をした巨大な南瓜のような円筒状の作品が画廊の大きさに合わせて設置されている。
覗くことのできない内部と、たどり着くことのできない奥の空間は闇で閉ざされ、強引すぎるほどの力強さで二重の空虚が産み出される。
前回自分の作ったものは建築だった、とあらためて思い知らされた。
2010年5月11日火曜日
8 May.2010
大阪万博記念公園を見て歩く。
「リルケ詩集」を読み終える。
万博記念公園はさながら痕跡博物館といった印象。
40年を経た現在も存在感を発揮し続ける太陽の塔と、きっちりと東西南北に合わせて計画された公園内の軸線は、これから後もその効力を失うことはないだろう。
今や誰も足を止めないお祭り広場には、コンクリートの地面を埋め直した跡が数多く見られ、「デメ」と「デク」が動きまわっていたかつての風景を想像させてくれる。
公園内を歩くと、各国のパヴィリオン跡地に置かれた石碑や彫刻に目をとられる。
なかでも、水を抜かれてその機能を失った姿を晒すイサム・ノグチの噴水と、誰も寄りつかない場所に埋め込まれている若林奮の「クロバエの羽」には長いこと見入ってしまった。
2010年5月5日水曜日
2010年5月4日火曜日
4 May.2010
国立近代美術館「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」を観る。
↑ アトリエ・ワン「まちあわせ」
美術館の入口前に置かれた竹の作品。
ここに辿りついた経緯や、物語性のあるコンセプトなどを除けば多摩美一年生の課題「竹で空間を作る」と大差なく見える。むしろ造形力の点だけでいえば多摩美のほうが上か。
↑ 中村竜治「とうもろこし畑」
展示室に入ってすぐに現れる。細い部材を用いた立体的編み物、または数学模型のような印象。以前の作品と比べても、展示空間に合わせてその規模を変えているだけしか見えず、早く次の展開を見てみたい。作品と合っていない「とうもろこし畑」というタイトルは後付けのように感じる。
↑ 中山英之「草原の大きな扉」
コンペで話題となった「扉」の1/3の大きさのもの。ヒューマンスケールにまで落ちた扉から特に面白さは感じられず、小さな椅子群にも異質な印象は持てない。これまでに色々な形で紹介されているため、もし1/1で完成したとしても驚きは半減するだろう。
↑ 鈴木了二「物質思考51 DUBHOUSE」
数点の模型と巨大なモックアップ。これだけの大きさがありながら空間体験をさせてくれない演出がニクい。壁に遮られてかろうじて下のほうが見える絵と、そこに近づくことを許さないガラスの床。視点を限定させる開口部、まったく閉ざされた裏面の細い通路など、展示の内部空間には触れられないながらも十分に建築を想像することができた。
↑ 内藤廣「赤縞」
赤いレーザー光線によって作られた舞台装置。展示室の床にバーコードのように注ぐ赤い線上に身を置くと、映画のワンシーンのように体表を赤い線が走る。この赤縞空間に入ったとき、鑑賞者は光線を映し出すスクリーンとなって「見るもの」から「見られるもの」へと変転し、舞台のもつ臨場感が見事に表現されていた。
↑ 菊地宏「ある部屋の一日」
今回の展示で最もインスタレーションらしい作品。動作、映像、音などを用いた唯一のもので、一見建築とは切り離されたもののようでありながらも、間接的な表現の集積によって建築らしさが表現されている。第一室には太陽を表して機械的に動く光とそれに照らされる建築的立体物を展示し、その立体を定点観測し続けた映像が第二室のスクリーンに中継される。この第一室と第二室の間にはわずかに隙間があり、第二室での虚像としての映像が光の角度によって暗転したとき、一瞬だけ実体的な光が第一室から漏れ入る。この空間操作はやはり建築的視点からの作品でなければ成しえない。
↑ 伊東豊雄「うちのうちのうち」
まるで数学の勉強をさせられているかのような作品。近作で用いられようとしている多面体が作り出す空間の幅は狭く、展示されているものもスタディ模型の集積のよう。この多面体の組み合わせはツヴィ・ヘッカーの旧作のようにしか見えないため、あまり目新しさは感じられない。(http://www.zvihecker.com/index_entry.html
Synagogue of Military Academy)
ゴードン・マッタ=クラークの映像が公開されていた。
製作過程を映像で見るのは初めてだったが、石片の飛び散るなかで顔を覆いながら基礎を叩き壊す姿や、仮支柱のジャッキを懸命に回す姿はどの作品よりもインパクトがあった。
↑ アトリエ・ワン「まちあわせ」
美術館の入口前に置かれた竹の作品。
ここに辿りついた経緯や、物語性のあるコンセプトなどを除けば多摩美一年生の課題「竹で空間を作る」と大差なく見える。むしろ造形力の点だけでいえば多摩美のほうが上か。
↑ 中村竜治「とうもろこし畑」
展示室に入ってすぐに現れる。細い部材を用いた立体的編み物、または数学模型のような印象。以前の作品と比べても、展示空間に合わせてその規模を変えているだけしか見えず、早く次の展開を見てみたい。作品と合っていない「とうもろこし畑」というタイトルは後付けのように感じる。
↑ 中山英之「草原の大きな扉」
コンペで話題となった「扉」の1/3の大きさのもの。ヒューマンスケールにまで落ちた扉から特に面白さは感じられず、小さな椅子群にも異質な印象は持てない。これまでに色々な形で紹介されているため、もし1/1で完成したとしても驚きは半減するだろう。
↑ 鈴木了二「物質思考51 DUBHOUSE」
数点の模型と巨大なモックアップ。これだけの大きさがありながら空間体験をさせてくれない演出がニクい。壁に遮られてかろうじて下のほうが見える絵と、そこに近づくことを許さないガラスの床。視点を限定させる開口部、まったく閉ざされた裏面の細い通路など、展示の内部空間には触れられないながらも十分に建築を想像することができた。
↑ 内藤廣「赤縞」
赤いレーザー光線によって作られた舞台装置。展示室の床にバーコードのように注ぐ赤い線上に身を置くと、映画のワンシーンのように体表を赤い線が走る。この赤縞空間に入ったとき、鑑賞者は光線を映し出すスクリーンとなって「見るもの」から「見られるもの」へと変転し、舞台のもつ臨場感が見事に表現されていた。
↑ 菊地宏「ある部屋の一日」
今回の展示で最もインスタレーションらしい作品。動作、映像、音などを用いた唯一のもので、一見建築とは切り離されたもののようでありながらも、間接的な表現の集積によって建築らしさが表現されている。第一室には太陽を表して機械的に動く光とそれに照らされる建築的立体物を展示し、その立体を定点観測し続けた映像が第二室のスクリーンに中継される。この第一室と第二室の間にはわずかに隙間があり、第二室での虚像としての映像が光の角度によって暗転したとき、一瞬だけ実体的な光が第一室から漏れ入る。この空間操作はやはり建築的視点からの作品でなければ成しえない。
↑ 伊東豊雄「うちのうちのうち」
まるで数学の勉強をさせられているかのような作品。近作で用いられようとしている多面体が作り出す空間の幅は狭く、展示されているものもスタディ模型の集積のよう。この多面体の組み合わせはツヴィ・ヘッカーの旧作のようにしか見えないため、あまり目新しさは感じられない。(http://www.zvihecker.com/index_entry.html
Synagogue of Military Academy)
ゴードン・マッタ=クラークの映像が公開されていた。
製作過程を映像で見るのは初めてだったが、石片の飛び散るなかで顔を覆いながら基礎を叩き壊す姿や、仮支柱のジャッキを懸命に回す姿はどの作品よりもインパクトがあった。
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