2010年5月4日火曜日

4 May.2010

国立近代美術館「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」を観る。













↑ アトリエ・ワン「まちあわせ」
美術館の入口前に置かれた竹の作品。
ここに辿りついた経緯や、物語性のあるコンセプトなどを除けば多摩美一年生の課題「竹で空間を作る」と大差なく見える。むしろ造形力の点だけでいえば多摩美のほうが上か。













↑ 中村竜治「とうもろこし畑」
展示室に入ってすぐに現れる。細い部材を用いた立体的編み物、または数学模型のような印象。以前の作品と比べても、展示空間に合わせてその規模を変えているだけしか見えず、早く次の展開を見てみたい。作品と合っていない「とうもろこし畑」というタイトルは後付けのように感じる。


















↑ 中山英之「草原の大きな扉」
コンペで話題となった「扉」の1/3の大きさのもの。ヒューマンスケールにまで落ちた扉から特に面白さは感じられず、小さな椅子群にも異質な印象は持てない。これまでに色々な形で紹介されているため、もし1/1で完成したとしても驚きは半減するだろう。


















↑ 鈴木了二「物質思考51 DUBHOUSE」
数点の模型と巨大なモックアップ。これだけの大きさがありながら空間体験をさせてくれない演出がニクい。壁に遮られてかろうじて下のほうが見える絵と、そこに近づくことを許さないガラスの床。視点を限定させる開口部、まったく閉ざされた裏面の細い通路など、展示の内部空間には触れられないながらも十分に建築を想像することができた。













↑ 内藤廣「赤縞」
赤いレーザー光線によって作られた舞台装置。展示室の床にバーコードのように注ぐ赤い線上に身を置くと、映画のワンシーンのように体表を赤い線が走る。この赤縞空間に入ったとき、鑑賞者は光線を映し出すスクリーンとなって「見るもの」から「見られるもの」へと変転し、舞台のもつ臨場感が見事に表現されていた。


















↑ 菊地宏「ある部屋の一日」
今回の展示で最もインスタレーションらしい作品。動作、映像、音などを用いた唯一のもので、一見建築とは切り離されたもののようでありながらも、間接的な表現の集積によって建築らしさが表現されている。第一室には太陽を表して機械的に動く光とそれに照らされる建築的立体物を展示し、その立体を定点観測し続けた映像が第二室のスクリーンに中継される。この第一室と第二室の間にはわずかに隙間があり、第二室での虚像としての映像が光の角度によって暗転したとき、一瞬だけ実体的な光が第一室から漏れ入る。この空間操作はやはり建築的視点からの作品でなければ成しえない。


















↑ 伊東豊雄「うちのうちのうち」
まるで数学の勉強をさせられているかのような作品。近作で用いられようとしている多面体が作り出す空間の幅は狭く、展示されているものもスタディ模型の集積のよう。この多面体の組み合わせはツヴィ・ヘッカーの旧作のようにしか見えないため、あまり目新しさは感じられない。(http://www.zvihecker.com/index_entry.html
Synagogue of Military Academy)













ゴードン・マッタ=クラークの映像が公開されていた。
製作過程を映像で見るのは初めてだったが、石片の飛び散るなかで顔を覆いながら基礎を叩き壊す姿や、仮支柱のジャッキを懸命に回す姿はどの作品よりもインパクトがあった。

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