2008年12月29日月曜日
2008年12月26日金曜日
23 Dec.2008
2008年12月21日日曜日
20 Dec.2008
2008年12月20日土曜日
2008年12月19日金曜日
18 Dec.2008
21_21 DESIGN SIGHT「吉岡徳仁 Second Nature」
ヒルサイドテラス「ヨーロッパ・アジア-パシフィック建築の潮流2008-2010」を観る。
しばらく建築の展示に金を払うのは控えようと思う。
ヒルサイドテラス「ヨーロッパ・アジア-パシフィック建築の潮流2008-2010」を観る。
しばらく建築の展示に金を払うのは控えようと思う。
2008年12月17日水曜日
2008年12月13日土曜日
2008年12月8日月曜日
8 Dec.2008
堀邸にて「うつろひ」の設置に立ち会う。
構造計算不可能な曲線が木々の間の空隙を満たす。
若松均「明大前の長屋」
新宿ニコンサロン「平敷兼七写真展」を観る。
線路に向けて積まれたコンクリートブロックと、死者を火葬するために積まれたコンクリートブロックが鮮やかに対比していた。
構造計算不可能な曲線が木々の間の空隙を満たす。
若松均「明大前の長屋」
新宿ニコンサロン「平敷兼七写真展」を観る。
線路に向けて積まれたコンクリートブロックと、死者を火葬するために積まれたコンクリートブロックが鮮やかに対比していた。
2008年12月7日日曜日
2008年12月6日土曜日
2008年12月3日水曜日
2008年11月30日日曜日
30 Nov.2008
2008年11月26日水曜日
2008年11月24日月曜日
23 Nov.2008
国立西洋美術館「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」
東京芸大美術館「櫃田伸也:通り過ぎた風景展」
東京芸大美術館陳列館「片山和俊建築展 まちみちすまい」を観る。
どれも良い展示だったが、ハンマースホイ展は衝撃的。
人のいない室内画からは、記念碑の内部に無限に広がる“想起”のようなものが読み取れた。
東京芸大美術館「櫃田伸也:通り過ぎた風景展」
東京芸大美術館陳列館「片山和俊建築展 まちみちすまい」を観る。
どれも良い展示だったが、ハンマースホイ展は衝撃的。
人のいない室内画からは、記念碑の内部に無限に広がる“想起”のようなものが読み取れた。
2008年11月22日土曜日
22 Nov.2008
2008年11月20日木曜日
2008年11月16日日曜日
15 Nov.2008
2008年11月14日金曜日
2008年11月12日水曜日
2008年11月9日日曜日
8 Nov.2008
2008年11月8日土曜日
2008年11月5日水曜日
2008年11月4日火曜日
2008年11月2日日曜日
2008年10月30日木曜日
2008年10月27日月曜日
2008年10月26日日曜日
2008年10月23日木曜日
2008年10月20日月曜日
2008年10月18日土曜日
2008年10月14日火曜日
14 Oct.2008
クロード・パラン「斜めにのびる建築」を読み終える。
ヴィリリオはともかく、クロード・パランの著作が邦訳で読めるとは嬉しいかぎり。
何年経っても色褪せることのない刺激的な論文であった。
ヴィリリオはともかく、クロード・パランの著作が邦訳で読めるとは嬉しいかぎり。
何年経っても色褪せることのない刺激的な論文であった。
2008年10月13日月曜日
2008年10月12日日曜日
11 Oct.2008
2008年10月11日土曜日
10 Oct.2008
秋山画廊「高山登 遊殺ー2008」を観る。
意味と発見に満ち溢れた作品。
作家に会い、墓や記念碑などについて話すことが出来た。考えていることが似ている気がする。
森山大道「犬の記憶」を読み終える。
意味と発見に満ち溢れた作品。
作家に会い、墓や記念碑などについて話すことが出来た。考えていることが似ている気がする。
森山大道「犬の記憶」を読み終える。
2008年10月5日日曜日
2008年10月1日水曜日
2008年9月29日月曜日
2008年9月28日日曜日
2008年9月26日金曜日
2008年9月22日月曜日
2008年9月21日日曜日
2008年9月20日土曜日
2008年9月17日水曜日
15 Sep.2008
伊香保温泉街の裏手で山田修二と出くわす。
温泉旅館裏の寂れた小道を指差しながら「こういう所を観て歩け」との助言。一時間ほど単身裏道巡りを楽しむ。
高低差のある街は建物同士の間の隙間がとてつもなく深く、そして暗い。映画「コロッサル・ユース」の1シーンのような光景に出会えたことに感謝したい。
温泉旅館裏の寂れた小道を指差しながら「こういう所を観て歩け」との助言。一時間ほど単身裏道巡りを楽しむ。
高低差のある街は建物同士の間の隙間がとてつもなく深く、そして暗い。映画「コロッサル・ユース」の1シーンのような光景に出会えたことに感謝したい。
2008年9月16日火曜日
14 Sep.2008
ハラ ミュージアム アーク「觀海庵落成記念コレクション展-まなざしはときをこえて-」を観る。
素晴らしいコレクションの数々が展示室内の同居人達とせめぎ合いながらも一体的な空間を生み出す。庭園美術館のような建築ではないにも関わらず美術品と建築の距離が限りなく近い。現代美術館の名作として残されて欲しい。
「磯崎新氏の喜寿を祝う会」に出席。
伊香保の旅館での夜は忘れられない。名立たる建築家達がアーティストのそれと同等の宴を開いていた。カワラマン・山田修二の存在は皆の心に刻まれたことだろう。
素晴らしいコレクションの数々が展示室内の同居人達とせめぎ合いながらも一体的な空間を生み出す。庭園美術館のような建築ではないにも関わらず美術品と建築の距離が限りなく近い。現代美術館の名作として残されて欲しい。
「磯崎新氏の喜寿を祝う会」に出席。
伊香保の旅館での夜は忘れられない。名立たる建築家達がアーティストのそれと同等の宴を開いていた。カワラマン・山田修二の存在は皆の心に刻まれたことだろう。
2008年9月14日日曜日
2008年9月9日火曜日
7 Sep.2008
秋山画廊「中瀬康志 地平の器」
所沢ビエンナーレ・プレ展「引込線」を観る。
「引込線」には一線級の作家達の力強い作品が数多く展示されており、見応えがあった。やはりベテラン作家と若手作家との間には見えない線が存在している。
所沢ビエンナーレ・プレ展「引込線」を観る。
「引込線」には一線級の作家達の力強い作品が数多く展示されており、見応えがあった。やはりベテラン作家と若手作家との間には見えない線が存在している。
2008年9月7日日曜日
2008年9月1日月曜日
31 Aug.2008
2008年8月30日土曜日
27 Aug.2008
学生日本二位の作家と会談する。
彼女の作品から溢れ出てくるものは「私性」という名の「小さな社会性」
作品の性質と彼女の性格を珍しがり、現代っ子的な見方をしている人も多いようだが、まぎれもなく古いタイプの作家だと思った。
次のステップへの前進、または後進を楽しみにしている。
彼女の作品から溢れ出てくるものは「私性」という名の「小さな社会性」
作品の性質と彼女の性格を珍しがり、現代っ子的な見方をしている人も多いようだが、まぎれもなく古いタイプの作家だと思った。
次のステップへの前進、または後進を楽しみにしている。
2008年8月29日金曜日
26 Aug.2008
ルイス・カーン「ルイス・カーン建築論集」を読み終える。
輸入元の会社が倒産したために、昨年より続く連作「News week series」の題材であるNews weekがなかなか手に入らない。
作品が止まることに恐怖を覚える日々を送っている。
輸入元の会社が倒産したために、昨年より続く連作「News week series」の題材であるNews weekがなかなか手に入らない。
作品が止まることに恐怖を覚える日々を送っている。
2008年8月26日火曜日
2008年8月22日金曜日
2008年8月21日木曜日
19 Aug.2008
東京都庭園美術館「船越桂 夏の邸宅」を観る。
ホワイトキューブの在り方を問う展示。
豊穣で有機的な空間を生成する、作品と場所の相互関係には「住居としての美術館、住人としての作品」という言葉があてはまる。
昨年、NOAビルのギャラリーで観た展示同様、何度でも足を運びたくなる「100点」の空間であった。
ホワイトキューブの在り方を問う展示。
豊穣で有機的な空間を生成する、作品と場所の相互関係には「住居としての美術館、住人としての作品」という言葉があてはまる。
昨年、NOAビルのギャラリーで観た展示同様、何度でも足を運びたくなる「100点」の空間であった。
2008年8月17日日曜日
16 Aug.2008
2008年8月15日金曜日
14 Aug.2008
世田谷美術館「建築がみる夢 石山修武と12の物語」を観る。
講演会では「編集的建築」「模倣のすすめ」など、惹かれる言葉が繰り返された。
オリジナリティは死んだ。いまの作家に残されているのは編集的な操作であり、それが若人の最も得意とする領域である。重要なことはその編集の要素として何を選びとるかということ。石山修武になるにはホームレスハウスに目を向け、ワッツタワーに感動し、宮崎駿の作品に学ぶ。選択する事物によって編集者としてのオリジナリティが発生する。
このような内容のことをスライドと笑いを交えながら淡々と語ってくれた。ベンヤミンの「翻訳者の使命」「模倣の能力について」を集約し、石山氏流の語り口で伝えてくれたように感じた。
ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション1」を読み終える。
講演会では「編集的建築」「模倣のすすめ」など、惹かれる言葉が繰り返された。
オリジナリティは死んだ。いまの作家に残されているのは編集的な操作であり、それが若人の最も得意とする領域である。重要なことはその編集の要素として何を選びとるかということ。石山修武になるにはホームレスハウスに目を向け、ワッツタワーに感動し、宮崎駿の作品に学ぶ。選択する事物によって編集者としてのオリジナリティが発生する。
このような内容のことをスライドと笑いを交えながら淡々と語ってくれた。ベンヤミンの「翻訳者の使命」「模倣の能力について」を集約し、石山氏流の語り口で伝えてくれたように感じた。
ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション1」を読み終える。
2008年8月11日月曜日
2008年8月10日日曜日
9 Aug.2008
なびす画廊「利部志穂展」(3回目)
ギャラリー間「グレン・マーカット展」(4回目)
21_21 DESIGN SIGHT「祈りの痕跡。展」を観る。
『祈りの〜」は全体的に胡散臭い雰囲気が漂っていたものの、思いがけないところで円空作『護法神』に出会えたことが収穫。
ギャラリー間「グレン・マーカット展」(4回目)
21_21 DESIGN SIGHT「祈りの痕跡。展」を観る。
『祈りの〜」は全体的に胡散臭い雰囲気が漂っていたものの、思いがけないところで円空作『護法神』に出会えたことが収穫。
2008年8月7日木曜日
6 Aug.2008
東京国立博物館「対決 巨匠達の日本美術」を観る。
対決という明快なテーマのもと「真の美」が競演。
今まであまり関心の向かなかった日本美術への門戸を開いてくれる展示であった。
ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション 2」を再読。
対決という明快なテーマのもと「真の美」が競演。
今まであまり関心の向かなかった日本美術への門戸を開いてくれる展示であった。
ヴァルター・ベンヤミン「ベンヤミンコレクション 2」を再読。
2008年8月3日日曜日
2 Aug.2008
2008年7月31日木曜日
29 Jul.2008
2008年7月26日土曜日
2008年7月25日金曜日
23 Jul.2008
平松剛「磯崎新の『都庁』 -戦後日本最大のコンペ- 」を読み終える。
内輪ネタからプチ建築史まで、内容の幅があり飽きることなく読むことが出来た。
専門家でなくても読み進められる一冊。
内輪ネタからプチ建築史まで、内容の幅があり飽きることなく読むことが出来た。
専門家でなくても読み進められる一冊。
2008年7月22日火曜日
20 Jul.2008
「崖の上のポニョ」を観る。
異常気象、生態系の変化、海面の上昇など、人類が直面している諸問題に対しての解決方法は『共生』である、という強いメッセージを備えた作品。
穏やかな笑いと神話的ファンタジーを織り交ぜているため年齢層を問わず楽しめる。
「不都合な真実」のようなストレートな伝え方も良いが、これからの人類を担う子供達へは届かない。
アニメーションでなければ出来ない斬新な表現だった。
異常気象、生態系の変化、海面の上昇など、人類が直面している諸問題に対しての解決方法は『共生』である、という強いメッセージを備えた作品。
穏やかな笑いと神話的ファンタジーを織り交ぜているため年齢層を問わず楽しめる。
「不都合な真実」のようなストレートな伝え方も良いが、これからの人類を担う子供達へは届かない。
アニメーションでなければ出来ない斬新な表現だった。
2008年7月19日土曜日
2008年7月17日木曜日
17 Jul.2008
東京芸大美術館「バウハウス デッサウ展」を観る。
展示品の豊富さには感服したが入場1400円、カタログ3000円は高い。
どこぞの美術館のように展望台がついていれば納得。
ミラン・クンデラ「生は彼方に」を読み終える。
展示品の豊富さには感服したが入場1400円、カタログ3000円は高い。
どこぞの美術館のように展望台がついていれば納得。
ミラン・クンデラ「生は彼方に」を読み終える。
2008年7月8日火曜日
5 Jul.2008
秋山画廊「遠藤利克 敷物-焼かれた言葉-」
GAギャラリー「GA INTERNATIONAL2008」
21_21 DESIGN SIGHT「XXI c. -21世紀人」を観る。
遠藤氏の作品の後では何を観ても弱さばかりが目立つ。
「21世紀の出会い 共鳴、ここ・から」を読み終える。
GAギャラリー「GA INTERNATIONAL2008」
21_21 DESIGN SIGHT「XXI c. -21世紀人」を観る。
遠藤氏の作品の後では何を観ても弱さばかりが目立つ。
「21世紀の出会い 共鳴、ここ・から」を読み終える。
2008年7月2日水曜日
2008年6月30日月曜日
29 Jun.2008
2008年6月26日木曜日
21 Jun.2008
GAギャラリー「GA INTERNATIONAL2008」を観る。
相変わらずの空虚感に苛まれ、良い意味で冷める。
帰りに渋谷駅を拝見。
吹き抜けとホームの関係は面白いが、『地球の卵』とはただの装飾か。
もはや何を語っても嘘にしか聞こえない。
相変わらずの空虚感に苛まれ、良い意味で冷める。
帰りに渋谷駅を拝見。
吹き抜けとホームの関係は面白いが、『地球の卵』とはただの装飾か。
もはや何を語っても嘘にしか聞こえない。
2008年6月20日金曜日
2008年6月18日水曜日
2008年6月15日日曜日
2008年6月13日金曜日
12 Jun.2008
ミラン・クンデラ「冗談」を読み終える。
何度も読み返したため、かなり時間がかかった。
錯綜する断片がある契機を境に急激に近づき、ふとした拍子に再び手の届かない場所まで離れていく。小さな欠片を丁寧に積み上げ、複雑な政治状況のもとでひとつの詩的な物語を紡ぎ出す姿勢には「柔らかなポストモダンの世界」というものを想像させる。
何度も読み返したため、かなり時間がかかった。
錯綜する断片がある契機を境に急激に近づき、ふとした拍子に再び手の届かない場所まで離れていく。小さな欠片を丁寧に積み上げ、複雑な政治状況のもとでひとつの詩的な物語を紡ぎ出す姿勢には「柔らかなポストモダンの世界」というものを想像させる。
2008年6月8日日曜日
4 Jun.2008
東京国立近代美術館「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」を観る。
国立美術館での建築展は、かなりの度胸が必要だったはず。
豊富な知識を持つキュレーターのまとめ方が際立っていた。
青木氏の模型はあくまでもプロセス。メルクリ氏のドローイングは建築に向けたプロセスでありながらも一つの作品として成立している。
国立美術館での建築展は、かなりの度胸が必要だったはず。
豊富な知識を持つキュレーターのまとめ方が際立っていた。
青木氏の模型はあくまでもプロセス。メルクリ氏のドローイングは建築に向けたプロセスでありながらも一つの作品として成立している。
2008年6月4日水曜日
2008年6月3日火曜日
2 Jun.2008
秋山画廊「稲永寛 BEAUTIFUL WORLD PROJECT[S]」を観る。
短い時間ながら作家との対話を楽しめた。
見ている方向が限りなく近い。秋山画廊には刺激的な出会いが転がっている。
短い時間ながら作家との対話を楽しめた。
見ている方向が限りなく近い。秋山画廊には刺激的な出会いが転がっている。
2008年6月1日日曜日
2008年5月31日土曜日
30 May.2008
ギャラリーときの忘れもの「細江英公写真展 ガウディへの讃歌」
シアターイメージフォーラム「コロッサル・ユース」を観る。
衝撃的な映像美に出会い、しばらくの間この余韻から抜け出られそうにない。
シアターイメージフォーラム「コロッサル・ユース」を観る。
衝撃的な映像美に出会い、しばらくの間この余韻から抜け出られそうにない。
2008年5月27日火曜日
2008年5月24日土曜日
2008年5月22日木曜日
21 May.2008
日本ホームズ住宅展示場「The House展」を観る。
作品点数が多いため、全てを観るのにかなりの労力を要する。
薄い作品群の中でもいくつか力強い作品に出会えて満足。
知人、久村氏の作品もその中の一つ。奥まった場所を上手く使いこなし、良い雰囲気の空間を創り出していた。
作品点数が多いため、全てを観るのにかなりの労力を要する。
薄い作品群の中でもいくつか力強い作品に出会えて満足。
知人、久村氏の作品もその中の一つ。奥まった場所を上手く使いこなし、良い雰囲気の空間を創り出していた。
2008年5月19日月曜日
2008年5月17日土曜日
2008年5月11日日曜日
2008年5月9日金曜日
2008年5月6日火曜日
5 May.2008
2008年5月3日土曜日
2008年4月27日日曜日
25 Apr.2008
群馬県立近代美術館「磯崎新 七つの美術空間」「甦る美術館」を観る。
バス一台借り、アトリエ全員参加。
インスタレーションや原寸モック等を展示せず、ドローイングと模型だけでこれだけの大空間をもたせられる建築家は世界でも数人しかいないはず。
写真、図面、模型、そのどれもが作品として成立している。
同時に並べることで、CAD/CGの脆弱さを改めて見ることができた。
バス一台借り、アトリエ全員参加。
インスタレーションや原寸モック等を展示せず、ドローイングと模型だけでこれだけの大空間をもたせられる建築家は世界でも数人しかいないはず。
写真、図面、模型、そのどれもが作品として成立している。
同時に並べることで、CAD/CGの脆弱さを改めて見ることができた。
2008年4月22日火曜日
2008年4月14日月曜日
2008年4月7日月曜日
2008年4月5日土曜日
2008年4月1日火曜日
2008年3月28日金曜日
2008年3月27日木曜日
2008年3月23日日曜日
2008年3月19日水曜日
2008年3月16日日曜日
2008年3月13日木曜日
2008年3月10日月曜日
8 Mar.2008
ヒルサイドテラス「トウキョウ建築コレクション」「小山登美夫ギャラリー」
モーダポリティカ「多摩美術大学環境デザイン学科卒業制作展」を観る。
コレクションでは、表現力は豊かなものの院生特有の思考の痕跡のようなものが見られず少々物足りなかった。
審査基準等を立て直さなければ「せんだい〜」となんら変わりのないものになってしまうだろう。
小山登美夫ギャラリーの湾曲するアクリルパーティションは、透明であるにも関わらず閉鎖的な空間を作り出していた。「実の透明性」には物質性が伴っていることを再認識。
「多摩美術大学〜」は展示の方法に難あり。作品は良いものが揃っているだけにもったいない。
モーダポリティカ「多摩美術大学環境デザイン学科卒業制作展」を観る。
コレクションでは、表現力は豊かなものの院生特有の思考の痕跡のようなものが見られず少々物足りなかった。
審査基準等を立て直さなければ「せんだい〜」となんら変わりのないものになってしまうだろう。
小山登美夫ギャラリーの湾曲するアクリルパーティションは、透明であるにも関わらず閉鎖的な空間を作り出していた。「実の透明性」には物質性が伴っていることを再認識。
「多摩美術大学〜」は展示の方法に難あり。作品は良いものが揃っているだけにもったいない。
2008年3月7日金曜日
2008年3月5日水曜日
2008年3月2日日曜日
1 Mar.2008
2008年2月28日木曜日
27 Feb.2008
INAXギャラリー「杉山礼香展 -見えない本-」を観る。
作品だけでなく会場の空間構成なども含めて見応えのある展示だった。
プリーモ・レーヴィ「プリーモ・レーヴィは語る」を読み終える。
作品だけでなく会場の空間構成なども含めて見応えのある展示だった。
プリーモ・レーヴィ「プリーモ・レーヴィは語る」を読み終える。
2008年2月24日日曜日
23 Feb.2008
東京都現代美術館「川俣正 通路」
秋山画廊「戸谷森 national nursery」を観る。
写真集等の印象とは違った。“通路”はそこにあるものであり、通り抜けるもの。設置にあたって重要なことは“必然的な場所性”。わざわざ美術館でやる必要性が感じられなかった。
秋山画廊「戸谷森 national nursery」を観る。
写真集等の印象とは違った。“通路”はそこにあるものであり、通り抜けるもの。設置にあたって重要なことは“必然的な場所性”。わざわざ美術館でやる必要性が感じられなかった。
2008年2月23日土曜日
2008年2月19日火曜日
2008年2月17日日曜日
2008年2月15日金曜日
2008年2月14日木曜日
2008年2月11日月曜日
9 Feb.2008
ギャラリーハシモト「青木野枝 彫刻展」
Gallery K「伊佐治雄悟 LENGTH」を観る。
青木野枝氏の作品は、接地しているにも関わらずまるで宙に漂っているかのようであり、それでいて軽々しい印象を与えない力強さがある。このような作品を前にすると、建築に逃げたくなる。
プラトン「パイドン」を読み終える。
Gallery K「伊佐治雄悟 LENGTH」を観る。
青木野枝氏の作品は、接地しているにも関わらずまるで宙に漂っているかのようであり、それでいて軽々しい印象を与えない力強さがある。このような作品を前にすると、建築に逃げたくなる。
プラトン「パイドン」を読み終える。
2008年2月8日金曜日
2008年2月6日水曜日
5 Feb.2008
プラトン「饗宴」を読み終える。
表参道画廊「利部志穂 家を持ち替える」を観る。
実家の解体現場において“創り続け、壊され続けた”模様を記録した映像と、新たに購入した部材で制作した数点の造形群。
新築の家に招かれたような、まだ誰のものでもない空間に足を踏み入れたような、言いようのない緊張感を持ちながらも妙な安らぎを感じる空間であった。
表参道画廊「利部志穂 家を持ち替える」を観る。
実家の解体現場において“創り続け、壊され続けた”模様を記録した映像と、新たに購入した部材で制作した数点の造形群。
新築の家に招かれたような、まだ誰のものでもない空間に足を踏み入れたような、言いようのない緊張感を持ちながらも妙な安らぎを感じる空間であった。
2008年2月3日日曜日
2008年1月31日木曜日
2008年1月28日月曜日
27 Jan.2008
2008年1月23日水曜日
21 Jan.2008
現在開催中の個展「想起 〜アドルフ・ロースへの手紙〜」の準備風景。
21日のオープニングには少人数ながらも建築家、彫刻家、オペラ歌手、詩人、母…と多種の人々が集まってくれた。
以下にテキストを掲載します。
我々が森の中を歩いていて、シャベルでもって長さ6フィート、幅3フィート程の大きさのピラミッドの形に土が盛られたものに出会ったとする。我々はそれを見て襟を正す気持ちに襲われる。そして、それは我々の心の中に語りかけてくる。「ここに誰か人が葬られている」と。これが建築なのだ。
アドルフ・ロース「建築について」(1908)
墓標のない墓は
その場所に“誰か”が眠っていることは語っても
“誰が”眠っているかは語らない。
何かを語ってはいるが、具体性を欠いている。
つまりその墓は、何らかの余白を宿している。
芸術と呼ばれる全てのものは
この“余白”を内包するために
存在しているのではないだろうか。
鑑賞者は
作品の創り出すその空虚な余白に
過去の記憶や体験を援用しながら
身体そのものを滑り込ませ
自身の物語を完成させ
新たな記憶の引き出しにしまう。
もはやそこには作家は存在せず
鑑賞者の紡ぎ出す物語だけが残るだろう。
その過程における想起とは
“語らない余白”を語るための、そして
“見えないもの”を見ようとするための
小さな契機にすぎない。
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