2007年12月16日日曜日

FMN













現在進行中『フィールド・ミュージアム・ネット』の概要を紹介します。


「IAA/多摩美術大学芸術人類学研究所には、所長の中沢新一の構想の下に、6部門が設けられています。そのうちのひとつが、「野外を行く詩学」で部門代表は詩人/文芸評論家の平出隆氏です。この「野外を行く詩学」 が行なう基幹プロジェクトが《フィールド・ミュージアム・ネット》です。

全国各地において、文学者の家や芸術家の家を保存する運動が展開されています。しかし、維持保存運動は、さまざまなむずかしい問題に直面します。それぞれ別々の、しかし同じタイプの困難に対して、FMNはひとつの方法を提案しています。ばらばらになっているものをひとつにつなぎ、そこに、研究会や講演会や展示会や音楽会など、一連の魅力的なプログラムを送り込むことです。」



『小田原の物置小屋』 川崎長太郎

・拠点紹介
小説の中の詳細な部屋の描写などをたよりに、川崎長太郎が長年住みつき、執筆していた物置小屋の復元を目指す。
物置小屋はトタンで四方の壁を作られ、雨の日には水漏れがひどく、ビール箱をひっくり返して机代わりにし、ローソクの灯りで読書をしたり、小説を書いたりしたという。現在この物置小屋は跡形もないが、復元を目指すことで川崎長太郎が小説に吹き込んだ魂を提示することが期待できる。


川崎長太郎(小説家)
川崎長太郎は1901年に神奈川県足柄郡小田原町(現在の小田原市)の魚商の家に生まれた小説家。
1980年に芸術選奨文部大臣賞を受賞。
10代後半から上京してアナーキズム系の社会派の詩を書いていたが、徳田秋声の影響を受けて私小説を
書くようになった。36才で小田原の実家に帰り、その後は海に近い実家の物置小屋で執筆をつづけた。
川崎長太郎の作家としての特徴は、私娼窟に材を採った「私小説」と、小田原の実家の物置小屋で執筆を
つづけたことだろう。作者自身の体験を強く小説に反映させる手法をとる私小説を通して、川崎長太郎は
素朴な生活のなか自足して生きることの豊かさを描き、特に抹番町物で1950年代大衆的な支持を得た。
最晩年まで私小説一筋に筆を執り、1985年に83才で逝去した。
著作に『路草』 『朽花』 『抹番町』 『伊豆の街道』 『夕映え』など。


興味を持った方はこちらを → http://www.wwalnuts.jp/fmn/

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